よくYouTuberやX上で情報発信されている方の主張で、貨幣発行と信用創造の仕組みに関する誤解が見うけられますので、一度整理してみたいと思います。
貨幣発行の基本構造:中央銀行と信用創造の現実
日本銀行(日銀)を中心とする現代の貨幣システムは、MMT系の人がしばしば主張するような単純な「政府の貨幣創造」モデルとは異なります。貨幣発行のプロセスを正しく理解するためには、まず「マネタリーベース」と「マネーストック」を理解する事から始める必要があります。
マネタリーベースとマネーストックの違い
マネタリーベースとは、中央銀行が直接コントロールできる「基盤通貨=ベースマネー」を指します。
具体的には、日銀が発行する銀行券(紙幣)と硬貨、そして民間金融機関が日銀に保有する「日銀当座預金」の合計です。
このマネタリーベースは、経済全体に流通する貨幣の「種銭」として機能しますが、それ自体が直接的に市中に出回るわけではありません。
一方、マネーストック(通貨供給量)とは、私たちが日常的に利用している貨幣の総量を指し、現金通貨(銀行券+硬貨)に加えて、民間銀行が創造する預金通貨(当座預金、普通預金など)を含みます。重要なのは、このマネーストックの大部分(日本では約80%)が預金通貨であり、民間銀行の信用創造によって生み出されているという事です。
信用創造の実際のメカニズム
MMT系の方々はしばしば「政府や中央銀行が貨幣を創造する」と主張しますが、実際の貨幣供給の大部分は民間市中銀行の貸出活動(信用創造)を通じて行われます。信用創造のプロセスは次のように機能します。
1. 銀行貸出による預金創造
銀行が企業や家計に貸し出しを行う際、銀行は単に既存の預金を貸し出すのではなく、借り手の預金口座に新たな数字(預金通貨)を記帳します。これにより、経済全体のマネーストックが増加します。
2. 決済のための準備預金
この新たに創造された預金通貨が決済に使われる際には、銀行間の資金移動が必要となり、その際に日銀当座預金(マネタリーベースの一部)が使われます。つまり、銀行は貸出を行う際に「日銀当座預金を原資とする」わけではありません。市中銀行が100万円融資する場合、何も無い所から100万の貸し手と100万の借り手が生まれます。これが無から有が生まれるという信用創造です。
3. 信用創造の制約要因
銀行の信用創造能力は無限ではなく、国際的にはBIS規制等により規制されています。
※【4.信用創造はいくらまで出来る?】参照。
それと同時に(1)貸出先の返済能力(信用リスク)、(2)銀行自身の資本制約、(3)中央銀行の金融政策(政策金利や預金準備率など)によって制限されます。
4.信用創造はいくらまで出来る?
- BIS規制(国際統一基準)
- 対象:国際業務を行う銀行(海外に拠点を持つ金融機関)
- 最低自己資本比率:総自己資本比率:8%以上(リスク加重資産に対する比率)
- →市中銀行の総自己資本比率の12.5倍の額まで信用創造が出来る。
- 日本国内基準
- 対象:海外拠点を持たない国内業務中心の金融機関(地域銀行、信用金庫など)
- 最低自己資本比率:総自己資本比率:4%以上
- →市中銀行の総自己資本比率の25倍の額まで信用創造が出来る。(注)国際基準より緩和されているが、金融庁は自主的にBIS基準を上回る管理を推奨している。
日銀の貨幣発行の歴史的変遷
MMT論者の一部は「国債の購入が通貨発行の基礎である」と主張しますが、歴史的にはこれは誤りです。1990年代、日銀当座預金はわずか4兆円程度でしたが、国債発行額は数百兆円に達していました。この数字から明らかなように、国債の存在が通貨発行の前提条件ではないのです。
実際、日銀は伝統的に企業の振り出す約束手形を買い入れることで中央銀行通貨を発行してきました。これは「手形割引」と呼ばれる操作で、国債保有を通じた通貨発行が主流となったのは比較的最近の現象です。これを信用創造と捉えている人がいますが、実際は市中銀行による信用創造が基本です。
陥りがちな誤解
現代貨幣理論(MMT)支持者の主張を検証すると、貨幣システムに関するいくつかの根本的な誤解が浮かび上がります。これらの誤解は、金融政策の効果や財政政策の限界についての過剰な楽観主義につながる危険性をはらんでいます。
誤解1:「日銀当座預金が国債購入の唯一の原資である」
- MMT系の方々はしばしば「銀行は日銀当座預金で国債を買う」とか「国債は日銀当座預金でしか買えない」といった主張を行います。確かに、銀行が国債を購入する際の決済は日銀当座預金を介して行われますが、これは単なる「決済の仕組みの説明」に過ぎません。重要なのは、日銀当座預金の規模が国債購入能力を制約するわけではないという点です。1990年代、日銀当座預金はわずか4兆円程度でしたが、国債発行額は数百兆円に達していました。この事実は、国債購入が日銀当座預金の存在を前提としていないことを明確に示しています。
- 実際のプロセスでは
- 銀行が国債を購入すると、その銀行の日銀当座預金残高が減少し、政府の日銀預金が増加する
- 政府がこの資金を支出すると、民間部門の銀行預金が増加し、銀行の日銀当座預金も回復する。
- この一連の流れは「決済の仕組み」であって、「資金源の制約」を示すものではない。
誤解2:「財政赤字が直接マネーストックを増やす」
- MMTの支持者は、財政赤字(国債発行)が直接的に経済における貨幣供給を増やすと主張する傾向があります。確かに、以下のプロセスを通じて財政赤字はマネーストックに影響を与えます。
1. 政府が国債を発行し民間銀行が購入
2. 銀行の日銀当座預金が政府預金に移動
3. 政府が公共事業などで支出
4. 企業の銀行預金が増加(マネーストック増加)
しかし、このプロセスはあくまで「既存の貨幣の流通経路を変える」ものであり、中央銀行の関与なしに「無から有を生み出す」ものではありません。マネーストックの持続的な増加には、中央銀行によるマネタリーベースの供給増加か、銀行システムによる信用創造(融資)の拡大が必要不可欠です。
さらに、MMT系の方々が軽視しがちなのは、このプロセスがインフレを引き起こすリスクです。現在の日本では信用乗数が低く、マネタリーベースの増加が直ちにマネーストックの増加につながっていませんが、何らかの理由で信用創造が活発化すれば、「強インフレ」の危険性があると指摘する識者もいます。
誤解3:「中央銀行は無制限に貨幣を供給できる」
MMT論者は「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という命題から、「だから財政赤字に限界はない」と主張します。しかし、この主張には重大な見落としがあります。
第一に、日銀を含む中央銀行は「貨幣を無制限に供給できる」わけではありません。貨幣供給には以下のような実質的な制約があります。
- インフレリスク:貨幣供給が経済の生産能力を超えて増加すると、物価上昇(インフレ)を招く
- 通貨価値の毀損:過剰な貨幣供給は通貨の対外価値(為替レート)を下落させ、輸入インフレなどを引き起こす
- 金融システムの安定性:無制限の貨幣供給は金融機関の健全性を損ない、金融システム全体の安定を脅かす
第二に、「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という命題自体、技術的には正しいかもしれませんが、現実的には「強インフレ、金融危機等が財政破綻としてカウントされる」と主張する人も多いです。つまり、デフォルト以外の形で経済的破綻が訪れる可能性があるのです。
実際、日銀の「異次元緩和」政策ではマネタリーベースが大幅に拡大しましたが、これが直接的にマネーストックの増加やインフレにつながらなかったのは、信用乗数が低く、銀行の貸出が活発化しなかったためです。(民間企業等への融資よりも、より低リスクの国債購入を増やした。)この事は、中央銀行の貨幣供給能力にも限界があることを示唆していると同時に、異次元緩和という名のMMTで国債を大量発行していると云えなくはないです。
日銀の金融政策と信用創造の実際
日本銀行の金融政策運営を理解することは、貨幣発行と信用創造の現実を把握する上で不可欠です。MMT論者の主張と実際の政策運営には大きな隔たりがあり、この点を明らかにすることは、経済政策議論の健全化に寄与します。
異次元金融緩和の真実
2013年に導入された日銀の「量的・質的金融緩和」(QQE)は、MMT論者が主張するような単純な「貨幣の大量供給」ではありませんでした。この政策の本質は以下のようなメカニズムで機能します:
1. 国債買い入れによるマネタリーベース拡大:日銀が長期国債を大量購入し、その代金として民間銀行の日銀当座預金を増加させます。これによりマネタリーベースは大幅に拡大しました。
2. 信用乗数の低下:しかし、銀行はこの増加した日銀当座預金を積極的に貸出に回さず、結果として信用創造(預金通貨の増加)が限定的でした。これが「異次元緩和にもかかわらずインフレが起きていない」主因です。
3. 潜在的なインフレリスク:現在、マネタリーベースが異常なほど大きい状態にあるため、何らかの理由(例えば円安進行で景気が良くなるなど)で資金需要が高まり信用創造が活発化すれば、「ハイパーインフレ一直線」の危険性を述べる識者も多いです。。
政策金利の限定的な効果
MMT論者は金融政策(特に金利政策)の効果を過小評価する傾向がありますが、実際の政策金利操作には以下のような複雑な影響メカニズムがあります。
- 資産価格への直接影響:政策金利は株式、土地、為替などの資産価格に直接影響を与えます。金利は将来キャッシュフローの現在価値を割り引く割引率として機能するためです。
- 間接的な総需要への影響:資産価格変動を通じた資産効果(例えば土地や株式の値上がりによる消費増)が、間接的に総需要やGDPに影響を与えます。
- インフレ抑制メカニズム:金利引き上げは「貨幣錯覚」を活用したインフレ抑制効果があります。物価上昇時に金利も上昇すれば、「将来お金の価値も増える」と人々が感じ、即時の消費を抑制する効果が期待できます。
しかし、ゼロ金利政策や異次元緩和政策を長く続けてもデフレ脱却ができなかった事実は、金利政策には限界があることを示しています。これは、政策金利がGDP勘定のようなフロー勘定に直接影響を与えるものではなく、あくまで資産勘定を通じた間接的な効果しか持たないためです。
信用創造の二つのルート
現代経済における信用創造は主に二つのルートで行われますが、MMT論者はこの区別を曖昧にしがちです。
1. 民間銀行の貸出による信用創造
銀行が貸出を行うと、借り手の預金口座に新たな預金通貨が記帳される
この際、銀行は既存の預金を原資とする必要はない(「万年筆マネー」現象)
ただし、決済には日銀当座預金が必要であり、信用リスクや金利コストが制約となる。
再度述べますが、100万の借り手と100万の貸し手(市中銀行)がいて、契約すると何もない処から100万が帳簿記帳される。→これが信用創造ですが、無制限では無く国際基準(BIS規制)だと市中銀行の自己資本額の12.5倍まで信用創造できる。(自己資本比率8%)
2. 財政赤字による信用創造
政府が国債を発行し、民間銀行が購入するプロセスでマネタリーベースが創造される。
政府が財政支出を行うと、民間部門の銀行預金(マネーストック)が増加する。
理論的には、このプロセスで「クラウディング・アウト」(民間投資の抑制)は発生しない。
重要なのは、この二つのルートが相互に影響し合いながら、経済全体の貨幣供給を決定している点です。MMT論者は財政赤字による信用創造を過度に強調する傾向がありますが、現実の経済では民間銀行の貸出活動が貨幣供給の大部分を占めています。
貨幣観の根本的相違:商品貨幣説 vs 信用貨幣説
MMT論者と伝統的な金融当局者・経済学者の間にある貨幣を巡る見解の相違は、根本的には「貨幣とは何か」という定義の違いに起因しています。この根本的な貨幣観の違いを理解することは、現代の金融政策論争を解きほぐす鍵となります。
三つの貨幣観の比較
経済思想史には主に三つの貨幣観が存在しますが、MMT論者はその中の「信用貨幣説」を極端に解釈する傾向があります:
1. 商品貨幣説
- 貨幣を「商品取引を媒介する商品(資産)の一種」とみなす
- 金本位制下では金貨や兌換紙幣がマネーであった
- 銀行は「預金を原資として貸出を行う」金融仲介機関と考える
- 現代の管理通貨制度では説明力に限界がある
2. 信用貨幣説
- 貨幣を「銀行の負債(債務の記録)」、つまり「情報」とみなす
- マネーストックは銀行システムの外部に対する「負債」と定義
- 銀行は「貸し出しによって預金(マネー)を創造する」主体
- MMT論者はこの説を基に政府の貨幣創造能力を過大評価
3. 国家貨幣説(シニョリッジ)
- 貨幣を「政府の資本」として捉える
- 通貨発行益(シニョリッジ)に焦点を当てる
- MMTの一部解釈で利用されるが、解釈が単純化されている
現在の信用貨幣説の正しい理解
MMT論者が依拠する信用貨幣説には一定の合理性がありますが、その解釈には注意が必要です。
- 銀行貸出と預金創造:銀行が貸出を行う際、確かに「無から」預金を創造します。これは「万年筆マネー」と呼ばれる現象で、従来の「預金がなければ貸し出しができない」という商品貨幣説の考え方とは異なります。
- 決済のための準備:しかし、創造された預金が決済に使われる際には、同額の日銀当座預金(マネタリーベース)が必要となります。このため、信用創造は完全に無制限ではありません。
信用創造の実質的制約
- 銀行貸出には、(1)貸し手側の信用リスク(不良債権化リスク)と(2)金利コスト(資金調達コスト)という実質的な制約が存在します。銀行はこれらの制約を考慮して貸出判断を行います。
重要なのは、信用貨幣説が「銀行システム全体」のバランスシートを問題にしており、単一の銀行が無制限に貸出を行えると主張しているわけではない点です。MMT論者はこのシステム全体の視点を軽視し、政府部門の役割を過大評価する傾向があります。
会計恒等式モデルの重要性
信用貨幣説を正しく適用するためには、「会計恒等式モデル」の理解が重要です。